10年前、僕は小学校を卒業し、中学校の1年生に入りたての若造だった。頭を丸坊主に刈り上げた小童は、普通に部活をし、普通に勉強をし、普通に都会に憧れた、普通に鼻を垂らしたクソ田舎者だった。携帯電話も持っていなかったし、インターネットに触れる機会も極端に少なかった。先生にばれないように中学校のPC室に侵入し、「おっぱい」などの卑猥な単語をYahoo! Japanに読み込ませ、おそらく小中学生のために作られたであろう「ぷらら」というサイトブロッキングシステムの隙間を縫って、試行錯誤の末に辿り着いたこれまた卑猥なコンテンツで満たされたサイトを十数人で食い入るように見つめていた。もっぱらそういった卑猥なコンテンツを楽しむなら、街中を歩きまわって落ちているエロ本を探すほうが手っ取り早く安全な方法だった(教師に見つかるとバスケ部の監督に通達されることがあり、その後に想像も絶するようなペナルティが課された)。それでも6時間ほど地元を歩き回る必要があった。

2015年、僕が中学1年生だった時から、世の中は大きく変わった。高校生から中高年の社会人まで、一人一台ポケットに超高性能PCを懐に潜ませる時代になった。小学校の時に転校してしまった親友とインターネット上で繋がり、彼らがどこでどんな飯を食べたか、もう結婚してしまったのか、もしくはどんな結婚式を挙げたかまでわかってしまう。電話はほぼ無料で掛けれるようになった。ましてや、テレビ電話もタダだ。地元に帰っても久しぶりという感覚はほとんどない。そして、手元の超小型超高性能PCで卑猥なコンテンツ(しかも動画も可!)もただで無制限食い放題。この前電車でたまたま隣にいた中学生の集団が中◯しの気持ち良さについて彼らの想像力を総動員させ熱く議論を交わしていた。僕なんて高校3年まで素◯を知らなかったのに。彼らは町中を駆けまわって必死で干からびてボロボロになったエロ本をみんなで分け合う感動を知らないのだろう。

だいぶ話がそれてしまったが、僕はここで今の技術になんからの評価を下したいわけではない。ここで言いたいことは、今世の中を一気に変えたと思われている技術も、10年前にすでに原型は存在していたということだ。2015年現在、我々が阿鼻叫喚しているような魔法も、2005年もしくはそれ以上前に既にこの世界に存在し、世に広まるのを虎視眈々と待っていた。

iPhoneが日本で爆発的に広まったのは2010年 ~ 2011年やそこらだったように記憶している。しかし、iPhone自体はすでに2007年に発売されていた。開発自体はさらに前の2001年ごろから始まっていたと言われている。(そもそも当初iPhoneは開発されておらず、AppleはiPadの開発を進めていた。その過程で、iPadの技術はスマートフォンとしての可能性があると考えたApple経営陣が急遽iPadからiPhoneに路線変更し、iPadよりも早く発売した。)。そして、iPhoneの基になった、ダイナブック構想はそれよりさらに40年もさかのぼった1960年代に提唱されていた。

今我々の生活を大きく変えている技術は、半世紀以上も前にすでに誕生していた。そして、10年後の我々の生活を全く変えてしまう技術も今この瞬間にもどんどん誰かの手によって発展している。そして、未来の中学生はそもそもオナニーという言葉すら知らないかもしれない。

羨ましすぎる。

追記 : 写真はIDEO San Franciscoのオフィスにあるでっかい文字ボード